心の指針ルーレット |
【法の網の目】
鎌倉時代には、
単純化された仏教がはやった。
ただ「座る」とか、
ただ「南無阿弥陀仏」を称えるとか、
ただ「南無妙法蓮華経」を称えるとかだ。
まるで、
会席料理を食べる前の、
お品書きを読んでいるかのようだ。
料理は味わってみないと、
本当のところは分からない。
悟りも、
入口もさまざまなら、
味わい方も人ごとに違う。
昔の中国では、
教えを、
鳥をつかまえるための網の目に
たとえた僧侶もいた。
鳥をつかまえる網の目は一つだが、
一つの目しか持っていない網では、
鳥をつかまえることができない。
つまり人の心の動きは様々なので、
どんな心の問題にも対応できるように、
教えの網の目を広く張りめぐらさなければならない、
と、救済の意志の多様化、
具体化の必要性を示したのだ。
これは天台大師智の、
『摩訶止観』に説かれているたとえだ。
私の教えが増え続ける理由を、
千五百年前に気づいている人がいた。
少しだけ、うれしくもなる。
(心の指針171)
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